大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)9578号 判決 1991年10月29日
原告
小村憲嗣
ほか一名
被告
東京海上火災保険株式会社
主文
一 被告は、原告小村憲嗣に対し、金九六〇七万四九三〇円及びうち金八八〇七万四九三〇円に対する昭和五九年四月一一日から、うち金八〇〇万円に対する昭和六二年一一月二九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告小村俊子に対し、金二六五万円及びうち金二四〇万円に対する昭和五九年四月一一日から、うち金二五万円に対する昭和六二年一一月二九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用はこれを二〇分し、その九を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告小村憲嗣に対し、金一億七三一六万七一七三円及びこれに対する昭和五九年四月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告小村俊子に対し、金五五〇万円及びこれに対する昭和五九年四月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 交通事故の発生
原告小村憲嗣(以下「原告憲嗣」という。)は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)に遭つた。
(一) 日時 昭和五九年四月一一日午後九時四五分ころ
(二) 場所 大阪府松原市三宅中一―一三―五先路上
(三) 加害者 普通乗用車(姫路五六さ四九三二号以下「加害車両」という。)運転の木下こと李壽幸(以下「李」という。)
(四) 被害者 第一種原動機付自転車(松原市た六四〇五号、以下「被害車両」という。)運転の原告憲嗣
(五) 事故態様 被害車両が西から東へ直進していたところ、東から西に直進し交差点にて右折しようとした加害車両に側面衝突した。
2 被告の責任
(一) 本件事故の原因
本件事故は、加害車両の直前を直進走行する車両があつたため、加害車両側からは、前方が見えにくい状況があつたのにもかかわらず、安易に対向車線に直進車はないものと考え、やや速度を落としただけで、対向車線の安全を確認せず、早曲がり右折をした李の過失によるものである。
(二) 被告の責任原因
したがつて、李は、右交通事故による原告らの損害について賠償義務を負うべきところ、行方不明となつており、被告は、加害車両につき、李と自家用自動車保険契約を締結し、李が原告らに対して負担する損害賠償義務の履行を引き受けている。
よつて、被告は、原告らに対して、右契約に基づく義務の履行として、保険金を支払うべき義務を有する。
3 治療経過及び障害の程度
(一) 原告憲嗣は、前記交通事故により第五頸椎粉砕骨折、頸髄損傷等の重傷を負い、次のとおり入院して治療を受け、さらに入院していない期間には定期的に通院して治療を受けている。
(1) 昭和五九年四月一一日から同年八月九日まで 大阪府立病院
(2) 同日から昭和六一年二月二〇日まで 星ケ丘厚生年金病院
(3) 同日から同年三月三日まで 大阪医科大学附属病院
(4) 同日から同年四月二九日まで 星ケ丘厚生年金病院
(5) 昭和六三年七月二五日から同年一〇月三日まで 同病院
(6) 同日から同年一一月一三日まで 大阪医科大学附属病院
(7) 平成元年六月三〇日から同年八月一五日まで 同病院
(8) 平成二年一一月五日から平成三年五月一二日まで 星ケ丘厚生年金病院
(二) 原告憲嗣は、自賠法施行令別表の後遺障害等級一級三号に該当する頸髄損傷による四肢麻痺の後遺症を残して、昭和六〇年七月一日症状固定したが、同後遺症の二次的症状として、合併症による気管閉塞、両股関節異所性骨化、各関節の硬直化が生じており、これらの二次的症状の治療を含め、頸髄損傷の特質上、今後も治療継続の必要性がある。
4 原告憲嗣の損害
(一) 治療関係費
(1) 病院治療費 一四三五万一〇六七円
昭和六二年一〇月七日までの病院治療費として右金員を要した。
(2) 差額ベツド料金 七一万六九六〇円
原告憲嗣は、喉頭部を切開しており、その治療については、他に適切な医師、医療機関がなく、大阪医科大学附属病院の専門医による治療に頼らざるを得なかつたところ、同病院は原告憲嗣のような重度の身体障害者であつて完全看護の必要な患者については、差額ベツド料金の必要なベツドしか認めていないため、前記3(一)(6)及び(7)の入院に当たつて、合計して右の金額の差額ベツド料金を支払つた。
(3) 文書料その他 一万一二一〇円
(4) 将来の治療関係費 三七四万七六〇〇円
前記のとおり、原告憲嗣は、頸髄損傷及び気管閉塞の特質上、二年に一度、三〇日間の入院治療を一生続ける必要があるところ、原告憲嗣は、昭和四二年一二月一八日生、事故当時一七歳であり、昭和五九年の一七歳の平均余命は五八・四一歳であるから、平成三年から生存する平成五四年までの五一年間に必要な差額ベツド料金は、一日当たり一万円として、ホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除すると、次のとおりである。
(算式) 300,000×0.5×24.984=3,747,600
(二) 付添関係費
(1) 一回目入院分 六一七万八〇六八円
昭和五九年四月一一日から同年一〇月二四日までの入院期間は、原告憲嗣の母親である原告小村俊子(以下「原告俊子」という。)が原告憲嗣の付添をしたが、原告憲嗣の弟の監護の必要上、原告俊子は付添ができなくなり、同月二五日から昭和六一年四月二九日までの入院期間は、職業付添人が原告憲嗣の付添をした。その間の付添費用は、右のとおりである。
(2) (1)以後の原告俊子による付添分 二八三四万九五五〇円
原告憲嗣は、一生付添が必要であるため、昭和六一年四月二九日の退院以後現在に至るまで、原告俊子が原告憲嗣の付添介護を終日行つており、これは原告俊子が六七歳になる平成一三年までの今後一〇年間続けられるから、その間の費用は、一日当たり六〇〇〇円として、ホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除すると、次のとおりとなる。
(算式) 6,000×356×(5+7.945)=28,349,550
(3) 将来の職業付添人による付添分 六二一九万二三五〇円
原告憲嗣の付添介護は、その生存する平成五四年まで必要であり、平成一四年以降、肉親による介護は期待できないから、職業付添人による付添が必要となるが、同費用としては現在、一日当たり一万九〇〇〇円程度は最低限必要であり、将来も一日当たり一万円を下回ることはないから、平成一四年から平成五四年までの付添費用は、同金額を基礎としてホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除すると、次のとおりとなる。
(算式) 10,000×365×(24.984-7.945)=62,192,350
(三) 入院雑費 一四二万八七〇〇円
入院日数の合計は、一〇九九日であるから、一日当たり一三〇〇円の割合による入院雑費は、次のとおりとなる。
(算式) 1,300×1,099=1,428,700
(四) 通院交通費
(1) 既払分 一九万八八八〇円
(2) 将来分 一二四万二二〇四円
原告憲嗣は、今後も一か月に一回の通院が必要であるところ、平成三年以降、生存する平成五四年までの通院交通費は、一年当たり、四万九七二〇円であるから、ホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除すると、次のとおりである。
(算式) 49,720×24.984=1,242,204
(小数点以下切捨て)
(五) 治療・生活器具
(1) 車椅子 二九五万四八一九円
原告憲嗣は、下肢は全く運動能力がなく、上肢も手指の運動能力がなく、補助なしでは使えない状態であり、さらに、しばしば貧血を起こすので、移動には電動リクライニング機能の付いた電動式車椅子が必要であるところ、この条件を充す車椅子の価格は、一台五二万一五〇〇円であり、昭和五九年当時の厚生省基準によれば、車椅子の交換は五年に一度ということになつていて、五年に一度の交換は必要であるから、原告憲嗣の生存する平成五四年までの車椅子費用は、ホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除すると、次のとおりである。
(算式) 521,500×(1+0.8+0.667+0.571+0.5+0.444+0.4+0.364+0.333+0.301+0.286)=2,954,819
(2) アキレス腱硬縮治療器 六五万円
原告憲嗣は、アキレス腱の硬化が進行しやすく、各関節も硬化が進行しており、血行も不良となつているところ、運動機能回復にはつながらなくても、リハビリ器具で運動刺激を与えることにより、症状の進行防止にかなりの効果が期待できる。
(3) 車椅子関係費 七万七六五〇円
(4) 調節器 一万二三六〇円
(5) マツト 二万八三二五円
(6) ロホクツシヨン 一三万三〇七六円
(7) 収尿器 九二七〇円
(8) 床ずれ予防器具 六万四〇〇〇円
(9) 風呂用暖房器具 一七万一八〇〇円
(六) 生活雑費 四七九万三三六二円
原告憲嗣の治療、介護及び健康管理のためには、最低限度一か月当たり一万三三二二円の雑費が必要であり、昭和六一年以降この金額を支出してきており、今後も平成五四年まで必要であるので、今後の金額については、ホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除して全体額を算出すると、次のとおりである。
(算式) 13,322×12×(5+24.984)=4,793,362
(七) 移動式リフト設置費用 二七一万円
原告憲嗣の移動は、次第に歳を取つていく付添者の原告俊子にとつて最大の肉体作業であり、原告憲嗣にとつても苦痛の大きい作業であるため、車椅子に乗ることや入浴の回数が減少しているが、移動式リフトによれば、介護は軽作業となるから、医師の指示どおり毎日車椅子に乗ることが可能となつて、貧血や床ずれの解消につながり、さらに原告憲嗣も湯船に浸かつて入浴することが可能となる等、移動式リフトは、介護の負担を軽くするばかりか、原告憲嗣のライフスタイルや健康に大きく影響する必要不可欠なものである。
(八) 物損 九万八〇〇〇円
本件事故によつて破損した被害車両の費用である。
(九) 休業損害 二六九万九六一〇円
原告憲嗣は、本件事故当時丸善シヤツター工業に勤務し、一日当たり四〇三五円の収入があり、また、半年勤続すると三〇万円の一時金が出ることになつていたところ、本件事故翌日である昭和五九年四月一二日から頸髄損傷の症状固定日昭和六〇年七月一日までの四四六日間に一時金支給の機会は三回あつたから、その間の休業損害は、次のとおりとなる。
(算式) 4,035×446+300,000×3=2,699,610
(一〇) 逸失利益 五〇七二万一七九八円
原告憲嗣は、本件事故の後遺障害によつて、労働能力を生涯にわたつて一〇〇パーセント喪失したところ、本件事故前、体格も良く、能力的にも問題はなかつたので、本件事故がなければ、症状固定後の四九年間就労可能であつたのであり、その間に平成元年中卒男子一八歳の平均賃金二〇七万七四〇〇円程度の収入を取得し得たものというべきであるから、同金額を基礎に、ホフマン式計算方法によつて年五分の割合で中間利息を控除して、原告憲嗣の逸失利益を算出すると、次のとおりとなる。
(算式) 2,077,400×24.416=50,721,798
(小数点以下切捨て)
(一一) 慰謝料
(1) 入通院慰謝料 三五〇万円
原告憲嗣は、本件事故による最初の入院で七五〇日間もの長期入院を余儀なくされ、さらにその後も入通院を繰り返しているので、その慰謝料として、最低限、右の金額が支払われるべきである。
(2) 後遺障害慰謝料 二〇〇〇万円
原告憲嗣は、まさにこれから青春を謳歌しようとしていた矢先に本件事故によつて、半身不随の重大な後遺症を被つたが、本件事故は李の法規違反の早曲がり右折を主な原因とするものであるうえ、その加害者李は、謝罪にも見舞いにも訪れず、所在不明の有様で、全く誠意がなく、また、被害者が若年であるがゆえに逸失利益が非常に少額になる不合理さに照らして、その慰謝料として、右の程度は当然である。
(一二) 弁護士費用 一五〇〇万円
(一三) 損害の填補 五二七一万八五七六円
5 原告俊子の損害
(一) 慰謝料 五〇〇万円
原告俊子は、前記のとおり、毎日付ききりで原告憲嗣の介護を行わねばならず、また、成人近くまで育てあげた息子がこれからという時に、重度の身体障害者になつてしまつたのであり、本件事故によつて、原告憲嗣の死亡にも比肩すべき多大な精神的苦痛を被つており、その慰謝のために必要な金額は、右を下らない。
(二) 弁護士費用 五〇万円
6 よつて、李は、原告憲嗣に対して、右損害金合計額から填補済みの分を除く一億七三一六万七一七三円及びこれに対する本件事故日である昭和五九年四付一一日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告俊子に対して、右損害金五五〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務を有しているところ、被告は、保険約款に基づく保険金支払義務の履行として、右金員を支払うべきであるから被告に対し、原告憲嗣は、金一億七三一六万七一七三円及びこれに対する昭和五九年四月一一日から支払済みまでの年五分の割合による金員の支払を、原告俊子は、金五五〇万円及びこれに対する昭和五九年四月一一日から支払済みまでの年五分の割合による金員の支払を、それぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 同2(一)のうち、李が右折をする際に対向車線上の安全を確認せず、その過失が本件事故の一因となつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同2(二)の事実は認め、主張は争わない。
3 同3の事実のうち、(二)のうちの症状固定当時原告憲嗣の後遺障害が自賠法別表の後遺障害等級一級三号に該当する程度のものであつた事実は認め、その余は知らない。
4(一) 同4の事実のうち、病院治療費として一四三五万一〇六七円の損害があつたことは認め、その余の事実は知らない。
(二) 原告憲嗣の後遺症が極めて重篤であること、気管狭窄に伴う諸症状の発生が現在でもあり、また将来も続くことを考えると、付添必要期間についてはかなりの不確定要素があり、統計によると、頸髄損傷の発症後一五年以内にその九〇パーセント以上が死亡していることからして、付添費用の算定においては、仮に平均余命全期間をとるとしても、その基礎金額は低めであつてしかるべきである。
(三) 原告憲嗣が、将来どのような形で通院することになるかは極めて不確定であり、通院費用は、将来の生活雑費に含んで考慮されるべきである。
(四) 移動式リフトが仮に必要であるとしても、原告主張の機種により低廉な機種もあり、原告の請求金額は過大である。
5 同5の事実は知らない。
三 抗弁(過失相殺)
原告憲嗣は、事故当時一六歳で、事故発生は免許取得後一三日目のことであることからして運転未熟であり、自車前方に対する安全確認を怠つて、原動機付自転車の法定速度である時速三〇キロメートルを上回る時速五〇キロメートル以上で同人運転車両を進行させた結果、本件事故に遭遇したもので、同人が右斜め全方を少しでも注意していれば、李運転の車両に気付くことは容易であり、かつ、法定速度を遵守していれば、急制動または急転把等によつて衝突を回避することは不可能ではなく、仮に衝突したとしても本件のような重傷を負わなかつた蓋然性があるから、本件事故発生については、原告憲嗣にも過失があり、総損害額から二〇パーセント程度の過失相殺がなされるべきである。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は否認する。
原告憲嗣は、青信号に従い、法定速度内で走行しており、また、直進車優先であるのだから、早回り右折車を予測することは困難であるし、夜間のことであつて、二輪車の運転手の視野は極めて不利になるのであるから、優者負担の原則からしても、四輪車である加害車両の過失をより重くみるべきである。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因Ⅰ(交通事故の発生)の事実は、当事者間に争いがない。
二 同2(一)(本件事故の原因)について検討するに、李が右折をする際に対向車線上の安全を確認しなかつた過失が本件事故の一因となつたことについては当事者間に争いがなく、これによれば、李は、本件事故による原告らの損害について賠償責任を負うものというべきところ、さらに同2(二)(被告の責任原因)についても、当事者間に争いはないから、被告は、自家用自動車保険契約に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償すべき義務を有する。
三1 そこで、次に同3(治療経過及び障害の程度)を検討するに、成立に争いのない甲第二ないし第七号証、第一三号証、第一六号証の一ないし四、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一ないし四並びに原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(一) 原告憲嗣は、本件事故により、第五頸椎圧迫骨折、第六頸椎前方脱臼、頸髄損傷及び右脛骨開放骨折の傷害を負い、事故当日の昭和五九年四月一一日に大阪府立病院に入院し、集中治療室で治療を受けていたが、頸椎の固定術を受けた後、合併症として右肺が無気肺となり、気管の切開術を受けた。集中治療室は同年五月二五日ころ出て一般の病室に入つた。同年八月九日まで同病院に入院し、気管の切開口は、同病院で一度閉じられた。
(二) 同日、原告憲嗣は、同病院から星ケ丘厚生年金病院に転入院した。同病院では、大阪府立病院入院中、頸椎固定術を受け、動けないために仙骨の辺りにできた褥瘡の治療を受け、また、リハビリテーシヨンを受けて、昭和六一年四月二九日に退院したが、それまでの間に、昭和五九年一一月ころ、気管切開のために気管が狭窄し、また、気管内に肉芽ができて、呼吸困難になり、気管を再び切開したことがあり、その後、断端縫合という気管の狭窄部位を切除してつなぐ方法で、気管支形成術を受けたが、縫合部が感染して口を開けてしまい、再度切開して、Tチユーブと呼ばれるT形のチユーブが切開部に挿入された。そして、その後、昭和六一年二月に、Tチユーブを抜去した後に肉芽による気管狭窄から気管閉塞を生じたため、レーザー照射により肉芽を除去するために、同月二〇日、星ケ丘厚生年金病院から大阪医大附属病院に転医し、再度Tチユーブを挿入して、同年三月三日に星ケ丘厚生年金病院に戻つたという経緯があつた。
(三) 原告憲嗣は、昭和六一年四月二九日に、星ケ丘厚生年金病院を退院して、大阪府営の身障者住宅に入つたが、気管切開部の管理のために、星ケ丘厚生年金病院から近畿中央病院を紹介され、定期的に通院しており、昭和六二年三月二〇日にもこのため通院した。
(四) その後、昭和六三年七月二五日、四肢麻痺による合併症としての両肢関節異所性骨化(異所性骨化とは、本来骨がない部位が骨化して仮骨ができる症状である。)により座位ができなくなつたため、星ケ丘厚生年金病院整形外科に入院して、左股の骨化切除を受け、同年一〇月三日に退院し、さらに、頸部気管狭窄のため、同日、大阪医大附属病院に入院して気管開窓術を行い、同年一一月一三日に退院したが、なお、その後も、Tチユーブを挿入したままで経過観察中であつた。
(五) さらに、平成元年六月三〇日から同年八月一五日まで、大阪医大附属病院に入院し、気管切開部を再度縫合するための治療を受けたが、何回にもわたる切開のため、組織が壊れ、喉の周りにあるはずの軟骨がなくなつており、縫合しても切開部分が落ち込んで呼吸困難になるので、縫合手術はできなかつた。
(六) そして、原告憲嗣は、平成二年一一月五日から平成三年五月一二日まで、四肢麻痺による合併症として排尿困難となつたため尿道を削る手術を受け、さらに四肢麻痺による合併症としての足の異所性骨化で、足が曲がりにくくなつたので仮骨を切除するために、星ケ丘厚生年金病院に入院した。
(七) 次に、原告憲嗣の症状経過についてみるに、原告憲嗣は、星ケ丘厚生年金病院の大村医師によつて、昭和六〇年七月一日、頸髄損傷、右脛骨骨折の傷病名で、症状固定との診断を受けたが、その当時、上肢の先端半分及び胸部から下半身全体にわたる知覚喪失、上肢の反射低下、下肢の反射亢進、第六頸髄節以下完全麻痺、第四ないし第六頸椎前方固定、第四ないし第七頸椎後方固定、神経因性膀胱、頸椎部の運動障害、膝関節及び足関節の関節機能障害の後遺障害を残しており、障害の回復の見込みはなかつた。そして、右後遺障害は自動車損害賠償責任保険の関係で、自賠法施行令別表の後遺障害等級第一級第三号に該当する旨の事前認定がなされた。
(八) その後、昭和六三年一一月の状態は、第五頸椎粉砕骨折、頸髄損傷、四肢麻痺、両股関節異所性骨化の傷病名のもと、精神・神経系統の他覚所見については、頸髄損傷による四肢麻痺として、腱反射は上肢低下、下肢亢進、第六頸髄節以下知覚脱失、第六頸髄節不全麻痺、第七頸髄節以下完全麻痺があり、腹部臓器・泌尿器系統の障害として、排便は薬によつて管理することが必要で、排便困難時には、摘便を要し、尿失禁があり、上下肢・手指足指の障害としては、下肢は全く自動運動がなく、上肢は、両肩の屈曲、伸展は可能であるが、筋力が半減し、両肘の屈曲は可能だが筋力が半減、伸展は不能、両手関節の背屈は可能であるが、筋力半減し、掌屈は不能で、手指の自動運動はないという状態であり、星ケ丘厚生年金病院の大村医師により、四肢麻痺による合併症として、例えば褥瘡、異所性骨化、尿路管理、肺合併症などに対して経過観察が必要であるとの判断がなされている。また、生活全般にわたり介助が必要な状態であつた。
(九) 原告憲嗣は、現在、気管の切開部分に挿入しているTチユーブの交換に毎月一回、大阪医大附属病院に通院しており、切開部分の閉鎖は、当面は無理であると同病院の医師は判断している。また、全身にけいれんが起きることがあり、貧血症状が起きやすく、全身的に関節が硬くなつてきている。しかし、消化器系統、循環器系統など右の障害部位の他には特に悪いところはなく、気管切開部から痰を取る回数も以前から変化なく一日一五回程度であり、体重も四六キログラム程度で過去一年半以上変わらず、重い風邪をひくこともなく、体力、食欲とも変化がない。
2 症状固定診断のあつた昭和六〇年七月一日当時、原告憲嗣の後遺障害が自賠法施行令別表の後遺障害等級第一級第三号に該当する程度のものであつた事実は当事者間に争いがないところ、以上に認定した事実によれば、原告憲嗣の障害の程度は同日以後も大きな変化はなく、右と同じ程度であるものと考えられる。そして、同日に症状固定があつた旨の医師の診断はあるが、原告憲嗣がうけた頸髄損傷の後遺障害である四肢麻痺の合併症として、褥瘡、異所性骨化、尿路の狭窄化、肺合併症などが発生する恐れがあり、実際に、異所性骨化によつて、症状固定診断後も二度の入院を経ており、また、頸髄損傷のため気管切開を行つたことから発症した気管狭窄の治療として、気管開窓術が行われ、その部分については、現在のところ当面縫合閉鎖の見込みはない状況となつており、Tチユーブを挿入したままであるなど、症状固定とされた日以後も治療が継続される必要があつたものと認められる。
四 そこで、次に原告憲嗣の損害について検討する。
1 治療関係費
(一) 病院治療費 一四三五万一〇六七円
昭和六二年一〇月七日までの病院治療費として、一四三五万一〇六七円の支出を必要とした事実については、当事者間に争いがない。
(二) 差額ベツド料金 七〇万六一〇二円
前記認定のとおり、原告憲嗣は、気管切開部の治療の必要から大阪医大附属病院に昭和六三年一〇月三日から同年一一月一三日まで及び平成元年六月三〇日から同年八月一五日まで入院したこと、生活全般にわたり介護が必要な状態であつたことが認められ、さらに、前掲甲第一六号証の一ないし四、第一七号証の一ないし四及び原告憲嗣本人尋問の結果によれば、大阪医大附属病院においては、室料差額が必要な個室でした付添介護を認めておらず、付添介護の必要な原告憲嗣としては個室に入院せざるを得なかつたため、やむを得ず室料差額合計七〇万六一〇二円を支出したことが認められる。原告憲嗣がこれを超える額の差額ベツド料金を支出したことを認めるに足る証拠はない。
(三) 文書料その他 一万一二一〇円
成立に争いのない甲第三九号証の一、二、第四〇号証の一ないし五によれば、原告憲嗣は、星ケ丘厚生年金病院及び大阪医大附属病院において、文書料その他として合計一万一二一〇円の支出をしたことが認められ、前示認定の原告憲嗣の症状等に照らして、必要な支出であり相当な損害であると認められる。
(四) 将来の治療関係費
前記三認定のとおり、原告憲嗣には、今後も四肢麻痺の合併症が発症する恐れがあるが、当面は気管切開部の縫合閉鎖を行うことは不可能と診断されており、さらに原告俊子本人尋問の結果によれば、現在において原告憲嗣には入院の必要はないものと認められ、その他全証拠に照らしても、原告憲嗣主張の二年に一度の入院が必要であると認めるに足りる証拠はないので、将来の差額ベツド料金を内容とする将来の治療関係費は認められない。ただ、右の恐れは否定することができないが、その点については、慰謝料算定に当たつて考慮すべきものと考えられる。
2 付添関係費
(一) 一回目入院分 六一七万八〇六八円
原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果によれば、原告憲嗣が大阪府立病院で集中治療室から一般病室に変わつた昭和五九年五月二五日から同年一〇月二四日まで、原告俊子が原告憲嗣の付添看護をし、その後は、家事の都合により職業付添に替わり、昭和六一年四月二九日の星ケ丘厚生年金病院退院まで職業付添人の付添があつたこと、右の間の職業付添費用は、被告が支出したことが認められ、さらに弁論の全趣旨によれば、その額は六一七万八〇六八円であつたことが認められる。そして、原告憲嗣が付添介護を必要とすることは、右三で認定した原告憲嗣の通院経過、後遺障害の内容程度から明らかである。
(二) (一)以降の原告俊子付添分 一七三八万四二二〇円
前記認定の原告憲嗣の治療経過、後遺障害の内容程度、現在の状態に、原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告憲嗣(昭和四二年一二月一八日生)は、昭和六一年四月二九日に星ケ丘厚生年金病院を退院した後は、継続して、その母親である原告俊子の介護を受けており、それは右退院以後の入院時にも変わらず、自宅での介護の内容としては、食事を食べさせること、四肢麻痺の結果、褥瘡ができやすいので、それを防ぐために昼夜を分かたず二、三時間おきに、ベツドで横になつている原告憲嗣の体の向きを変えること、気管切開部から痰を取ること、自律的に排便をすることができないので、薬剤を使い排便させるほか摘便すること、車椅子に乗せること、車椅子に乗せた状態でシヤワーを使わせることなどであつたこと、原告憲嗣の家族は、原告俊子のほか、原告憲嗣の一歳年下の弟がいるが、同人も既に二二歳となつていて、就職しており、また、近い将来原告らと同居することを止めて、一人暮らしをする予定であること、現在のところ、原告俊子が原告憲嗣を介護するに当たつて、原告憲嗣の体が異所性骨化のためにこわばつているので、車椅子に乗せる時に体を曲げるのに難儀すること、原告俊子は、昭和九年一〇月二四日生で、本件事故以前、縫製の内職により一か月当たり一〇万円程度の収入を得ていたこと、原告憲嗣には前記認定のとおりの後遺障害が存するほかは、消化器など他の臓器に障害はなく、体力的にも衰えは認められず、精神的にも一時期は希望を失つたことがあるが、現在は生きていこうと決意し、今後の平均余命期間の生存に疑問を投げかけるような徴候はないことが認められ(被告は、統計によると、頸髄損傷の発症後一五年以内にその九〇パーセント以上が死亡していると主張し、原告憲嗣の生存期間に疑問を投げかけているが、その根拠として提出した乙第一二号証の統計は、死亡した脊髄損傷者の死因についての統計であつて、全脊髄損傷者の生存期間の観点からの統計とは必ずしもいえず、右の認定を左右するには足りないものというべきである。)、右の認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、原告憲嗣は、昭和六一年四月三〇日以後、同年齢の男子の平均余命期間である五八年間にわたつて付添介護を必要とするというべきところ、原告俊子が付添介護可能な期間は、同人が六七歳に達する平成一三年までの一五年間であり、その後の四三年間については、職業付添人による介護が必要であるものと推認され、原告俊子の付添介護期間における介護料は、一日当たり四五〇〇円程度が必要であると思料されるから、右金額を基礎とし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、昭和六一年四月二九日から一五年間に要する介護費用の昭和六〇年七月一日における現価を算出すると、次のとおり一七三八万四二二〇円となる。
(算式) 4,500×365×(11.536-0.952)=17,384,220
(三) 将来の職業付添人による付添分 五六八二万六八五〇円
右(二)認定の事実に加え、成立に争いのない甲第三〇、第三一号証、原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果によれば、現在においても、職業付添人による付添介護の費用は、午前九時から午後五時までの介護で一日当たり一万七〇〇〇円、入浴サービスには一回当たり一万五〇〇〇円程度が必要であり、二四時間にわたる介護を受けるにはさらに費用が必要となるものと認められ、以上によれば、原告憲嗣に必要な平成一四年以降の職業付添人による介護費用は、控え目にみても原告憲嗣主張の一日当たり一万円を下ることはないものと推認されるので、以上を基礎に、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、平成一四年以降の平均余命期間四三年間の介護費用の昭和六〇年七月一日における現価を算出すると、次のとおり五六八二万六八五〇円となる。
(算式) 10,000×365×(27.105-11.536)=56,826,850
3 入院雑費 一二〇万六七〇〇円
前記三認定の原告憲嗣の受傷内容、治療経過に鑑みて、同認定の合計一〇九七日間の入院期間中に、原告憲嗣は、平均して一日当たり一一〇〇円程度の雑費を必要とし、右期間を併せて一二〇万六七〇〇円を下らない雑費を要したものと推認することができる。
4 通院交通費 一三〇万〇三二七円
前記三認定の原告憲嗣の受傷内容、治療経過に加えて、前掲甲第一八号証の一ないし四、成立に争いのない第一八号証の五ないし一一及び原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告憲嗣は、昭和六二年から平成二年までの四年の間に、本件事故による障害の治療のために、少なくとも一九万八八八〇円程度の通院交通費を支出したこと、原告憲嗣は、貧血や足が異所性骨化のために曲がりにくいことから、通常のタクシーは使いにくく、今のところ、弟の自家用車を頼んで交通手段とすることが多いが、いつまでも職を有する弟に頼れないこと、寝台タクシーを使うと原告憲嗣の自宅から星ケ丘厚生年金病院まで片道三万円程度、大阪医大附属病院まで片道四万円程度が必要であること、一年に一、二回は星ケ丘厚生年金病院に本件事故による障害部位の検査を受けるため通院していることが認められ、また、医師により、四肢麻痺による合併症として、例えば褥瘡、異所性骨化、尿路管理、肺合併症などに対して、今後も経過観察が必要であるとの判断がなされており、実際、現在は一か月に一回の割合で気管切開部の管理のため、大阪医大附属病院に通院していることは既に認定したとおりである。以上によれば、最初の入院から退院した昭和六一年四月二九日以後も五八年間にわたり、通院交通費を必要とするものと推認され、その金額は、少なくみても平均して原告憲嗣主張の一年当たり四万九七二〇円程度は必要であるものと推認できるから、右金額を基礎として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、昭和六一年四月二九日から五八年間に要する通院交通費の昭和六〇年七月一日における現価を算出すると、次のとおり一三〇万〇三二七円となる。
(算式) 49,720×(27.105-0.952)=1,300,327
(小数点以下切捨て、以下同じ)
5 治療・生活器具
(一) 車椅子購入費 一四三万九九三二円
前記認定の原告憲嗣の治療経過、後遺障害の内容程度、現在の状態に加えて、成立に争いのない甲第八ないし第一〇号証、第三四号証、原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果によると、原告憲嗣が移動するためには車椅子が必要で、原告憲嗣は毎日でも車椅子に乗ることが望ましく、実際現在においても手押し式の普通型車椅子を購入して使用していること、麻痺レベルからして電動式車椅子が必要であると医師も判断していること、普通の状態ではリクライニング式のものまでは要らないこと、電動式車椅子の価格は、一台三二万六五〇〇円程度であること、身体障害者福祉法に基づく厚生省の基準によると、電動式でない普通の車椅子の購入価格として八万三九〇〇円、普通型車椅子の耐用期間として四年、電動式車椅子の耐用年数として五年を予定していることが認められ、以上によれば、原告憲嗣は、昭和六一年四月二九日以降、原告憲嗣の平均余命期間である五八年間に少なくとも一一台を購入する必要があり、うち二台については既に普通型車椅子を購入して使用しており、平成六年以降にさらに次のものを五年おきに購入する必要があり、その時には電動式車椅子が必要とされることが推認されるから、以上を基礎として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、昭和六一年四月二九日以降に必要な車椅子購入費用の昭和六〇年七月一日における現価を算出すると、次のとおり一四三万九九三二円となる。
(算式) 83,900×(0.952+0.8)+326,500×(0.689+0.588+0.512+0.454+0.408+0.37+0.338+0.312+0.289)=1,439,932
(二) アキレス腱硬縮治療器購入費
前記認定の原告憲嗣の治療経過、後遺障害の内容程度、現在の状態に加えて、成立に争いのない甲第一一、第一二号証並びに原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果によれば、原告憲嗣は、足首の関節が硬くなり、医師から伸ばすようにいわれていること、星ケ丘厚生年金病院のリハビリテーシヨン担当の医師から使つた方がいいといわれて、レツグエクササイザーという膝・股関節可動域機能回復訓練器械の資料と見積を送つてもらつたこと、同器械の価格は見積によると六五万円であることが認められ、以上によると同器械を使用することによつて、膝や股関節の硬化に対してある程度の効果があることは推認できるが、原告憲嗣が特に強調する足首の硬化の症状に対しては、同器械が適応するものか明らかではなく、同器械がアキレス腱硬縮治療器であるかも明らかでない。そうすると、右レツグエクササイザーないしアキレス腱硬縮治療器については、後に判断する生活雑費に含めて考えるのが相当であつて、独立した項目の損害として認めることはできない。
(三) その他
請求原因4(五)(3)ないし(8)の項目については、証拠上それぞれの項目に対応する領収書が提出されており、それ自体からは必ずしもその内容が明らかでないものも存するものの、原告らの供述及び弁論の全趣旨からすれば、それらは、原告憲嗣が昭和六一年四月に星ケ丘厚生年金病院を退院した後に、治療、介護あるいは健康管理のために支出したものと一応認められ、また、同(9)(風呂用暖房器具)については、原告らの供述から、やはり原告憲嗣の健康管理に関連しても使用する予定のものであることが窺われるが、右各項目は、その内容及びその性質からして後に判断する生活雑費に含めて考えるべきものであり、後に生活雑費としての費用を認める以上、ここで右各項目について、個々単独に本件に基づく損害と認めることはできない。
6 生活雑費 四一八万〇九二三円
前示三認定の原告憲嗣の治療経過、後遺障害の内容程度、現在の状態によると、原告憲嗣は、本件事故の結果残された障害が存するため、日常生活する上でも、保存的治療、介護及び健康管理のために、健常者が通常必要とはしない特別の出費を必要としており、右出費は原告憲嗣の平均余命である昭和六一年四月二九日から五八年間にわたつて必要とするものと推認され、加えて、成立に争いのない甲第一九号証の一ないし九、第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証の一ないし三、第三五号証の一ないし三、第三六号証の一、二、第三七号証の一ないし三、第四一号証の一、二、第四二、第四三号証、原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告憲嗣は、右出費として、昭和六一年四月二九日の星ケ丘厚生年金病院退院以降現在に至るまでに、平均してその主張の程度の金額を支出しているものと認められ、以上によれば、今後も平均余命期間に平均して同程度の出費が必要であるものと推認できるから、原告憲嗣主張の一か月当たり一万三三二二円を基礎として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、昭和六一年四月二九日から五八年間に要する右費用の昭和六〇年七月一日における現価を算出すると、次のとおり四一八万〇九二三円となる。
(算式) 13,322×12×(27.105-0.952)=4,180,923
7 移動式リフト設置費用
原告憲嗣は、簡易設置型の移動式リフト設置費用として、二七一万円が必要であると主張し、原告俊子及び原告憲嗣各本人尋問の結果によれば、右リフトを設置することにより、原告憲嗣の介護に当たつての労働負担が軽減することが窺われるが、原告俊子は、今後必要になる旨供述するも、必ずしも現在において必要である趣旨の供述はないのであり、直ちに必要なものか必ずしも明らかでなく、また、原告憲嗣の供述によれば、原告らが現在居住する身障者住宅は、大阪府営であり、右リフトの設置に当たつても大阪府の許可が必要とされるものと認められるが、右許可がなされたものと認めるべき証拠はないので、必ずしも右リフトの設置が可能なものと認めることもできない。以上の諸事情からすると、右費用はこれを認めることができない。
8 物損 九万八〇〇〇円
成立に争いのない甲第二四号証、乙第七号証、原告俊子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告憲嗣は、本件事故直前の昭和五九年四月三日に、被害車両である原動機付自転車(新車)を購入し、その代金は九万八〇〇〇円であつたこと、本件事故のため同自転車は全損の状態となり、廃車とされたことが認められ、右認定に反する証拠はないところ、以上によれば、本件事故により、原告憲嗣は、同自転車購入代金相当の九万八〇〇〇円の損害を被つたものと推認される。
9 休業損害 二六九万九六一〇円
成立に争いのない甲第一五号証の一、二及び原告俊子本人尋問の結果によれば、原告憲嗣は、本件事故当時、丸善シヤツター工業こと藤江俊一方に臨時工として勤務し、一か月平均で一日当たり四〇三五円の収入があり、そのほかにボーナスとして一年に二回三〇万円ずつの支給が予定されていたこと、まじめに働いており、しばらくすると正式採用としてもらえる約束であつたことが認められ、以上のほか前記認定の事実によれば、原告憲嗣は、本件事故以後全く労働できなかつたものといえるから、本件事故日の翌日である昭和五九年四月一二日から本件事故による頸髄損傷及び右脛骨骨折についての症状固定日である昭和六〇七月一日までの四四六日間の休業損害は、次のとおり二六九万九六一〇円となる。
(算式) 4,035×446+300,000×3=2,699,610
10 逸失利益 五〇六〇万八八七四円
原告俊子本人尋問の結果によれば、本件事故前には原告憲嗣は、身長一八〇センチメーター、体重六五キログラムの健康体であつたと認められ、右9認定の事実並びに前記三及び四2(一)の事実を併せ考えると、原告憲嗣は、昭和六〇年七月二日以降六七歳になるまでの四九年間にわたつて就労可能であり、その期間に平均して一日当たり四〇三五円に一年当たり六〇万円を加えた収入を取得し得たところ、本件事故によりその労働能力をすべて喪失したものというべきであるから、以上を基礎として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告憲嗣の逸失利益を算出すると、次のとおり五〇六〇万八八七四円となる。
(算式) (4,035×365+600,000)×24.416=50,608,874
11 慰謝料 一九〇〇万円
前記認定の原告憲嗣の受傷内容、治療経過並びに後遺障害の内容及び程度、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、本件事故によつて原告が受けた精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、一九〇〇万円が相当であると認められる。
五 原告俊子の損害(慰謝料) 三〇〇万円
前記認定の原告憲嗣の受傷内容、治療経過並びに後遺障害の内容及び程度に加え、原告憲嗣の母親である原告俊子は、昭和四八年に原告憲嗣の父親である原告俊子の夫を病気で亡くし、その後は生活保護を受けたりしながらも一人で原告憲嗣を育て、原告憲嗣が就職するようになつたころに本件事故が起こり、その後、原告俊子は原告憲嗣の介護に追われ、外出する暇もなく、今後も同様の生活が続くと思われること(以上は、原告俊子本人尋問の結果により認められる。)、その他本件証拠上認められる諸事情を考慮すれば、原告俊子は、本件事故によつて、原告憲嗣が死亡した場合にも比肩すべき精神上の苦痛を受けた上に、さらに原告憲嗣を二四時間介護する肉体的な負担にも耐えなければならない状況に追い込まれたものといえるので、以上に対しては、原告俊子自身の権利としての慰謝料が認められるべきであり、その金額としては三〇〇万円が相当である。
六1 被告は過失相殺の抗弁を主張するので、次に本件事故態様について具体的に検討するに、前記のとおり、本件事故は、昭和五九年四月一一日午後九時四五分ころ、大阪府松原市三宅中一―一三―五先路上において、李運転の普通乗用車である加害車両と原告憲嗣運転の第一種原動機付自転車の被害車両間で発生したこと、被害車両が西から東へ直進していたところ、東から西に直進し交差点にて右折しようとした加害車両に側面衝突したこと、加害車両を運転していた李が右折をする際に対向車線上の安全を確認しなかつた過失が本件事故の一因となつたことについては当事者間に争いがないほか、成立に争いのない乙第二ないし第一一号証及び原告憲嗣本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(一) 加害車両は、車両総重量一二三五キログラム、総排気量一・七七リツトル、車長四・二三メートル、車幅一・六三メートル、車高一・三九メートルの箱型普通乗用自動車であり、事故当時、李一人が乗車していた。
また、被害車両は、原告憲嗣一人の乗車であつた。
(二) 本件事故現場は、三宅新道交差点と呼ばれる、ほぼ東西に伸びる対面一車線の府道大堀堺線と、南北に伸びる対面三車線(ただし、交差点からの北行き、南行きの進行方向は、第三車線部分が安全地帯となつており、二車線となつている。)の国道三〇九号線が交わる、交通整理の行われている市街地にある交差点(以下「本件交差点」という。)であり、交差点中央部に、ひし形の各辺が中央方向に曲線でへこんだ形の導流表示が、昭和五二年九月に大阪府公安委員会によつてなされ、道路交通法三四条二項によつて右折車両に対して義務づけられた通行すべき部分を指定する機能を果たしている。また、大堀堺線は、本件事故当時、本件交差点の西側が時速四〇キロメートル、東側が時速三〇キロメートルにそれぞれ規制されており、本件交差点は暗く、西側東側とも見通しは悪かつた。付近の道路はアスフアルトで舗装され、平坦で、事故当時は乾燥していた。そして、大堀堺線の交通量は少なく閑散としていた。
(三) 李は、昭和五八年一一月に運転免許を取り、本件事故当日、当時の住所である兵庫県神崎郡福崎町から友人のところに遊びにきた帰りであり、加害車両を運転して、大堀堺線を東から西に進み、本件交差点を右折して、阪神高速三宅ランプから阪神高速道路に入つて帰宅する途中に本件事故となつた。李は、大堀堺線を時速四〇キロメートル程度の速度で西進し、前照灯を下向きにつけて本件交差点に差し掛かつたが、加害車両のすぐ前を走る普通乗用自動車の後方に付いていたため、前方の見通し状況は悪かつた。李は、交差点に入る二〇メートル以上手前で右折の合図を出し、ブレーキを踏んで減速し、交差点に入る直前に対面信号が青信号であることを確認した。その時には、加害車両の速度は、時速二〇キロメートル程度に落ちており、先行車は大堀堺線を直進して、本件交差点中央付近にいた。李は、前方を確認することなく右地点で対向車がないものと軽信し、右折を開始し、約八・九メートル進んだ地点で前方約二三・三メートルに被害車両が直進して来ることに気付き、ブレーキをかけたが、さらに約五・一メートル進んだ地点で被害車両と衝突し、約一・二メートル進んで停止した。李は、被害車両に気付いてから直ちにブレーキをかければ、衝突を回避できたが、ぼんやりしていたため、ブレーキ操作が遅れた。
右衝突地点は、先述の導流表示の北東側であり、国道三〇九号線車道の東端の延長線から一メートル程度西側で、本件交差点北東にある信号機の根元から一二・二メートルの地点であつた。
加害車両は、本件事故により、車体前部の左端から二〇センチメートルの部分のバンパースカート及びバンパーに凹損状打点痕、前部ボンネツトおよびラジエーターグリルに凹損並びにフロントガラス破損の損傷を受けた。
(四) 原告憲嗣は、昭和五九年三月三〇日に第一種原動機付自転車の運転免許を取得したばかりであり、先に認定したとおり、被害車両は同年四月三日に購入したばかりであつた。原告憲嗣は、本件事故発生の一〇分程前の同月一一日午後九時三五分ころ、被害車両を運転して、前照灯を付けて自宅を出発し、大堀堺線を東に向かい、本件交差点に到つた。
事故当時、大堀堺線を東進する車両は、被害車両だけであり、交差点に進入する時には、対面信号は青信号であつた。原告憲嗣は、交差点を直進しようとして、時速三〇キロメートル程度の速度で進んだが、交差点内に入つた後に信号が青から黄色に変わつたため、急いで渡ろうとして、時速四〇キロメートル程度に加速したところ(乙第九号証の李の警察官に対する供述調書には、被害車両が時速五〇キロメートル程度の速度で衝突してきた旨の供述部分があるが、その他の供述調書からは四〇キロメートル程度であつた旨述べているものと認められ、さらに乙第一一号証の公判調書によると、裁判官の質問に対して同旨の供述をしていることから、頭書の供述調書の該当部分は信用できず、また、原告憲嗣の警察官に対する供述調書には、本件交差点進入時から時速四〇キロメートル程度であつた旨の記載があるが、原告憲嗣本人尋問の結果によれば、同調書は、原告憲嗣が気管を切開され、話せない時につくられたもので、大体の点では事実に合つているものの、細部に事実と異なる部分があることが認められるので、必ずしも右記載部分も信用できない。)、信号に多少気を取られていたため、加害車両が直前に迫つてからこれに気付き、ブレーキをかける暇もなく衝突し、被害車両は衝突した地点から五メートル程度後方に飛ばされ、路面に二メートルの擦過痕を残し、原告憲嗣は、加害車両のボンネツトを飛び越え、フロントガラスに当たつて、さらに加害車両を越えて、衝突地点から五・五メートル程度北東方向の地点に倒れた。
被害車両は、本件事故により、前輪がリムより外れ、前輪フオークは後方に曲損し、ハンドル取付部からハンドルが脱落するなどし、全体として大破の損傷をうけた。なお、原告憲嗣は、本件事故当時、ヘルメツトを被つていなかつた。
2 以上によれば、李には、本件交差点を右折をする際に対向車線上の安全を確認しなかつた過失のほかに、本件交差点の中央部分へ進み、道路交通法上通行すべきであると指定された部分である導流表示に沿つて徐行し、さらに、本件交差点が暗く、また、そもそも東西方向の見通しが悪かつたうえ、先行車の存在で前方の見通しが一層悪い状況であつたのであるから、対向直進車両の有無を確認し、必要であれば一時停止をし、そのうえ、対向車と衝突する危険が生じたら、これを回避するために直ちに制動操作を行う注意義務が存したのに、これを怠り、安易に対向直進車両がないものと信じて交差点進入時から右折を開始する早曲がり右折をして導流表示に従わず、また、時速二〇キロメートル程度に速度を落としたのみで徐行せず、被害車両発見後も、直ちに制動操作をすれば本件事故の発生を回避し得たのに、漫然として制動操作が遅れた過失が存し、この過失が本件事故の原因となつたものと考えられる。しかし、他方、原告憲嗣にも、前方を注視して前方の安全確認をし、また、法定の時速三〇キロメートルを守つて進行すべき注意義務があつたのにもかかわらず、本件交差点進入後、信号機に気を取られて前方注視がおろそかになり、また、時速四〇キロメートル程度に加速して進行した過失があり、これらの過失が本件事故に結び付き、あるいは本件事故による損害の拡大に結び付いたものと考えられるから、原告憲嗣の損害額算定に当たつては、これらの過失を考慮すべきであり、被害車両が原動機付自転車であり、本件事故が夜間の事故であつて、前照灯の照射範囲の狭い被害車両にとつては不利な状況下にあつたことなどその他先に認定した諸事情を総合して、原告憲嗣の前記認定の損害額の合計からその二割を減じるのが相当である。
さらに、原告憲嗣と原告俊子が同居の親子であり、本件事故当時原告憲嗣はいまだ未成年であつて、同一の家計を営んでいたことなど先に認定した諸事情よりすれば、原告俊子の損害額算定に当たつても、右の原告憲嗣の過失を被害者側の過失として考慮すべきであるから、右の場合と同様に、原告俊子の前示認定の損害額からその二割を減じるのが相当である。
3 以上によれば、原告憲嗣の賠償を求め得る額は、前示認定の損害額の合計一億七五九九万一八八三円からその二割を減じた一億四〇七九万三五〇六円であり、原告俊子の賠償を求め得る額は、前示認定の損害額三〇〇万円からその二割を減じた二四〇万円である。
七 損害の填補
原告憲嗣が、本件事故の損害につき、五二七一万八五七六円の填補を受けたことは、弁論の全趣旨から認められるので、前記六3の原告憲嗣が賠償を求め得る額から右填補額を差し引くと、残額は、八八〇七万四九三〇円となる。
八 以上によれば、被告は自家用自動車保険契約の保険者として、李が原告憲嗣に対して負担する八八〇七万四九三〇円の損害賠償債務及びこれに対する事故日である昭和五九年四月一一日から支払済みまでの年五分の割合による遅延損害金、同じく原告俊子に対して負担する二四〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまでの遅延損害金に相当する保険金の支払義務を負うことになる。
九 弁護士費用
原告らが、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額などに照らすと、賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告憲嗣について八〇〇万円、原告俊子について二五万円と認めるのが相当である。
一〇 結論
以上の次第で、原告憲嗣の本訴請求は、金九六〇七万四九三〇円及びうち金八八〇七万四九三〇円に対する昭和五九年四月一一日から、うち金八〇〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年一一月二九日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員、原告俊子の本訴訟請求は、金二六五万円及びうち金二四〇万円に対する昭和五九年四月一一日から、うち金二五万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年一一月二九日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の各支払を求める限度で理由がある。よつて、右の限度で認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項ただし書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林泰民 本多俊雄 小海隆則)